
はじめに
昨日ブログを開設して、さっそく何件かコメントをいただいた。返事を返そうとしたのだけど、自分でどの文体で書けばいいかわからなくなったので、少し保留させていただくことにした。
そういうわけなので、今日もマイペースに語りたいことだけを語る。今日書くのは、昔に見た夢の話。夢というのは、寝ている間に頭の中で勝手に展開されるあれではなくて、宇宙飛行士になりたいとか、野球選手になりたいとか、お花屋さんになりたいとか、お嫁さんになりたいとか、そういうやつの方だ。
僕は昔、絵本の挿し絵を描く人か、役者か、小説家になりたかった。そんな話のはじまりはじまり。
ビッグ・オーとの出会い、羊男のクリスマス
小さい頃、夜になって寝る前、母親がベッドサイドで本を読んでくれた……なんていうのはよくある話だけど、とても幸せな種類の話だと思う。僕にもそんな記憶はあるのだが、「僕の母親」と呼ばれる人物が2人いることで話がほんの少しだけややこしくなる。
片方の母親が読んでくれた本が「ぼくを探しに」という絵本だった。シェル・シルヴァスタインというアメリカ人作家が書いた、自分に足りないひとかけらを探して転がりながら旅をする、ちょうどパックマンのようなかたちをした「ぼく」の物語。この話には「ビッグ・オーとの出会い」という続編があって、そちらには完全な円形をした「ビッグ・オー」というキャラクターが出てくる。今思うとなかなか哲学的な内容なのだけど、幼かった僕にそんな深いところまでわかるはずはない。それでも、これ以上ないくらいシンプルな線で描かれたキャラクター達は驚くほど魅力的で、僕はその両方の本がとても好きだった。
もう片方の母親が読んでくれたのが、「羊男のクリスマス」という絵本。羊男という単語でぴんときた人もいるかもしれないが、こちらはあの村上春樹氏が手がけた絵本だ。「羊をめぐる冒険」にも出てきた「羊男」が主人公で、なぜか呪いをかけられてしまった彼が呪いを解くために孤軍奮闘する話。挿絵は佐々木マキ氏で、それぞれ一筋縄ではいかない登場人物たちの特徴がイラストによく出ている。
どちらの本についても、話自体には当然思い入れがあるのだけど、それと同じくらい挿絵も気に入っていた。その時にはもう既に絵を描くことが好きだった僕は、大きくなったらきっとこういう素敵な本の挿絵を描く仕事をするぞと決意していた。まだ小学校に上がってすぐの頃のことだ。
スポットライトの快感と恐怖
僕はそのまま絵を描き続けながら学年を上がっていった。
その頃の僕は、絵を描くこと以外に学芸会の舞台も大好きだった。台本が担任から提示され(あるいは皆で選んでいたのかもしれないけれど覚えていない)、配役を立候補と投票で選び、みんなで本番に向けて練習をした。大道具や小道具、照明、音声なんかも生徒がやった。クラス全員でこつこつ積み上げたものを、学芸会で親たちや教師や他のクラスの友達の前で堂々と披露し、たまらない達成感を味わった。
数ある役割の中でも、僕は主要なキャストを演じることを好んだ。なぜそんなに演技が好きだったのかはよく覚えていない。保育園での学芸会では毎回主役をやっていたから(「こぶとりじいさん」の良い爺さんとか、海賊船の船長とかをやった)恐らくそれで褒められたのが癖になったのではないかと思う。あるいは単に目立ちたがりだったのかもしれない。とにかく僕は率先してメインキャストに立候補し、あるいは選ばれ、あるいは選ばれず別の役を割り当てられ、そのいずれも自分なりに懸命にその役を演じた。
たぶん僕は、いつも仲良く遊んでいる他のクラスの友人に、自分の普段とは違う面を見せつけることが好きだったのだろうと思う。その頃の僕は、近所の自分より小さい子供に作り話を聞かせたり、親にうそをついてずる賢く立ち回ったりばかりしていたので、そういった一面もうまく合致した。ほどなくして僕は「こんなに楽しいことを仕事にできたら最高だろうな」と考えるようになっていった。
ところが、5年生の時にハプニングが起こった。卒業していく6年生に向けて贈る公演で、僕は今まで喋ったこともないくらい長い台詞に挑戦し、途中で詰まってしまったのだ。
頭の中が真っ白で、覚えたはずの言葉が出てこない。舞台の上の連中も、照明や音声の連中も、親や他学年の生徒たちも、全員が自分を見ている。そう思うと余計に台詞が出てこない。それまで舞台の上に立つのが全く苦ではなく、緊張なんて感じたことがなかった僕だが、それ以降は舞台に立つことがたまらなく怖くなってしまった。
これでは職業的役者になるのは無理だろう、そう思ったのは中学に上がってからだった。中学でも何度か舞台をやったが、僕はそれまでより小さな役を演じているにも関わらず、やはり常に恐怖を感じていた。10年以上経った今でもたまに「舞台の上で台詞が出てこない夢」を見ることがある(「夜に眠ってから見る」夢の方の話)。あの出来事は思ったより深い傷を僕の心に残したようだ。
絵を描かずに美術大学に入った男の話
結局、僕はなし崩し的に絵の勉強を続けた。「素敵な絵本を描く」という目標は、いつしか「素敵な本の装丁を手がける」「素敵なCDジャケットを手がける」「グラフィック・デザインを仕事にする」というように移り変わった。僕は中学を卒業し、高校生になって早いうちから美術大学に入るための準備を始めた。
絵を描くことは好きだったが、さすがに受験のために四六時中絵を描いていると他のことで息抜きをする必要がある。僕が息抜きのためにやっていたのは「小説を書く」ということだった。もともと作文や論文などで文章を書くことは好きだったし、幼い頃から読書は欠かさないできたのでストーリーテリングそのものについても強い関心があった。
息抜きに何か始めると、そちらに本気になってしまうのが僕の悪い癖だ。僕は文章を書くことにのめり込み、父親から譲ってもらった古いマッキントッシュで短い小説を書き続けた。だんだんと予備校には顔を出さなくなり、チューターからは面談で「このままだと現役合格はまずありませんね」と言われてしまうまでになった。それでも僕は文章を書き続けた。先のことはあまり考えていなかった。
3年生になり、いよいよ受験する大学を選ぶことになる。僕はほとんど迷わずに、いわゆる「五美大(東京芸大・武蔵野美術大・多摩美術大・東京造形大・女子美大)」から女子美大を除いた4通のみの願書を購入したが、投函する際にそのうちのひとつだけにちょっとした仕掛けをほどこした。実技試験にデッサンや平面構成ではなく、論文を選んでも良い大学があったのだ。予備校のチューターや両親にはいっさい相談しなかった。
結論から言うと、学科試験をすべてパスした僕は、各大学の実技試験のデッサンでことごとく落とされた。あれだけ予備校をさぼっていたのだから当たり前と言えば当たり前のことだ。最終的に合格ラインに何とか乗ることができたのは、準備や対策なんかまるでしていなかった論文で受験した大学だけだった。ほとんど何の準備もしていなかった論文で合格できたのは、僕がずっと文章を書き続けてきたことと、その年のテーマが創作文寄りだったおかげだ。何が身を助けるかなんて、最後になるまでわからないものだ。
このことがあってから、文章で身を立てることを真剣に考え出した。この考えは、デザイナーとして就職して5年以上経つ現在でも自分の中にちゃんと残っている。一度も使われることがなかった日本刀の影打ちのように、自分の心の中の奥深いところで、妖しく光る刀身を行儀良く鞘に収めたままでじっと待っているのだ。
というお話だったのさ
こんな話を(しかも相当長い話を)、開設2日目にわざわざ書いたのには理由がある。
楽器の演奏、車の運転、水泳。何かを上手に行うためには、日頃そのスキルに磨きをかけなくてはいけないと僕は思っている。僕は現在(好むと好まざるとに関わらず)プロフェッショナルのデザイナーとして活動しているので、そのスキルを磨く時間は仕事中にいくらでもあるのだが、このところ完全に文章の方が手抜き状態になっている。
そういうわけで、日常的にまともな文章を書く場が欲しかった……それもこのブログを立ち上げたひとつの理由である。この一文が、今回最終的に伝えたかったことだ。随分遠回りをしてしまった。
僕の文章が、たとえば一年後にこのブログを通しで読み返してみた時に、確かに上達しているな、と思えるものになっていることを願っている。
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