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	<title>Katakoto</title>
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	<description>たとえ言葉が片言でも、語らないよりはずっといい</description>
	<pubDate>Thu, 01 Jan 2009 07:27:51 +0000</pubDate>
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		<title>謹賀新年</title>
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		<pubDate>Thu, 01 Jan 2009 06:25:38 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Daichi Sakota</dc:creator>
		
		<category><![CDATA[独り言]]></category>

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		<description><![CDATA[あけましておめでとうございます。
年が明け、新しい一年が始まるということで、やはり「去年はここが良くなかった」「今年はもっとこうしよう」という思いが生まれてくるわけです。
このブログについて僕が思ったのは、やはり「少し形 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>あけましておめでとうございます。</p>
<p>年が明け、新しい一年が始まるということで、やはり「去年はここが良くなかった」「今年はもっとこうしよう」という思いが生まれてくるわけです。<br />
このブログについて僕が思ったのは、やはり「少し形にこだわりすぎたかな」ということ。こだわること自体は悪いことだとは思わないけれど、やはり過ぎたるは及ばざるが如しということなんだろうな。「あ、これブログに書きたい」と思うネタがあったとしても、「でもKatakoto向きじゃないから書かないでおこう」となってしまうというのは、まあブログの本質というところから考えても本末転倒だ。</p>
<p>ということで、今年はもうちょっとラフにいきたいと思う。よろしくお願いします。</p>
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		<title>歩く日の僕の洗濯機のような頭の話</title>
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		<pubDate>Sun, 05 Oct 2008 13:21:40 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Daichi Sakota</dc:creator>
		
		<category><![CDATA[独り言]]></category>

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		<description><![CDATA[
発車のベルに顔を上げると、僕の乗った急行電車は鷺沼の駅を出ようとしているところだった。
しまった、降りそびれた。まあいいや、次で降りれば同じ各駅停車に乗り継げる──そう思った次の瞬間に、僕はもっと先までいくことを決めて [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><img src="http://www.misikika.com/katakoto/wp-content/uploads/2008/10/rimg0023.jpg" alt="" title="" width="500" height="375" class="aligncenter size-full wp-image-158" /></p>
<p>発車のベルに顔を上げると、僕の乗った急行電車は鷺沼の駅を出ようとしているところだった。<br />
しまった、降りそびれた。まあいいや、次で降りれば同じ各駅停車に乗り継げる──そう思った次の瞬間に、僕はもっと先までいくことを決めていた。僕の暮らす街を急行電車で越え、もっと遠くへ。<br />
僕は文庫本に顔を戻した。さっきまで読んでいた箇所をふたたび読み始めるが、電車が僕の街を通り過ぎる瞬間には顔を上げて窓の外を見やった。<br />
さよなら、僕の街。今日はもう少し後で会おう。</p>
<p>最近たまにこういうことをする。少し歩きたくなった時に、ふた駅ほど先まで電車に乗って、そこから歩いて帰る。逆にふた駅手前で降りないのは単純に歩く道を知らないからだ。僕は極端な方向音痴である。<br />
歩きたくなるのは、夕食を食べすぎた時や考え事をしたくなった時のことが多い。ずっしりと重い胃袋を抱えながら、贖罪のようにひたすら歩き続ける。頭はそんな体の事情などお構いなしにぐるぐるぐるぐると色んなことを考え出す。回転する脳細胞のうなりまで聞こえてくるかのようだ。</p>
<p>今日考えたのは、主に自分自身のことである。自分のこれまでの人生、これからの人生、そしてそれに結果的に付随してくることになった様々なもの・こと・ひと。</p>
<p><span id="more-157"></span></p>
<p>まず僕は、のろのろとしんどそうに足を前に前に動かし続ける体のこと、そしてそれとは対象的にきびきびと回転する頭のこと、そして人間という生き物のことを思った。<br />
こんなふうにぐちゃぐちゃと物事を考えては自ら思考の底無し沼にはまり込む生き物は人間だけだろうが、それでも人間は生物の基本的な<strong>いとなみ</strong>──生まれ落ちたその日から毎日食事をし、なすべきことをして、やがて家族を作って長い眠りにつく──を続けている。げに驚くべきは生命の力強さ、粘り強さであろう。そんなことをまず（イントロダクション的に）考えた。</p>
<p>次に僕は、妻と結婚するずっと前に行った海のことを思い出した。<br />
夏と呼べそうな季節はもうとっくに過ぎ去り（ちょうど今くらいの季節だ）、荒ぶる風に不安そうにさざなみを立てる夜の海。僕らはふたりきりではなく、そばには友人もいた。彼らは僕らのこの付き合いのことを知らなかった。そして、そうだ、僕はその頃まだ昔の恋を引きずっていた。<br />
<a href="http://www.misikika.com/katakoto/archives/145">911の話</a>からは一年以上が経っていたが、それでも新しい恋をうまく取り扱えない自分自身にいらいらしていた。隣にいる彼女への気持ちがゆらいでいるわけではない──ただ、あまりに長く続いた以前の恋があまりに唐突に終わりを迎えたため、その直後に付き合い始めた彼女にどう接すればいいかわからなかったのだ。彼女の前でそんな自分でしかいられないことに腹を立て、何も知らずに（あるいは知っているけど何も言わずに）付き合ってくれる彼女に対しては罪悪感でいっぱいだった。<br />
僕は歩きたくなった。歩きたくなったということは、例によって考え事をしたくなったということだ。僕は一言ふた言もごもごとみんなに告げ、後ろを振り返ることなくひとり波打ち際を歩き始めた。</p>
<p>さすがに深夜をまわって終電もなくなったこの時間、浜辺にあまり人の姿はない。たまに見回りの警察官とすれ違うくらいだ。24時間営業の海の家にはそれなりに客が入っているようで、開け放たれたカウンターバーに設置されたDJセットのウーファーに合わせて酔った若者が体をゆらしている。僕は足を止め、少し離れた場所から低音の単調なリズムに耳を傾けた。<br />
ふと気付くと、隣に彼女がいた。どうしたの、と彼女は僕に聞いた。どうして急に歩いていったの。僕はそれには答えず、みんなは？　と質問を返した。<br />
友人たちは一緒にはおらず、彼女が一人で追いかけてきたことを知ると僕の胸は熱くなった。彼女を抱きしめて頭のスイッチをオフにする。今ここに、生きた我々がいるのに、なんだって僕は<strong>死んだ恋</strong>のことばかり考えなくちゃいけないっていうんだ？<br />
僕たちはしばらくそのまま抱き合い、やがてどちらからともなく離れ、来た道を並んで歩いて帰った。</p>
<p>「何も知らずに」なんて馬鹿言っちゃいけない。彼女は<strong>確実に</strong>僕がまだ昔の恋を引きずっていることを知っていた。それなのに僕を追って歩いてきてくれたあの夜を境に、僕は彼女にちゃんと向き合えるようになったんだ。確かにそうだった。あれからいったい何年が経った？<br />
指折り数えると、あれからもうまる6年が経っている。我々はその後も付き合いを続け、去年に結婚した。彼女はいつまでも新品の洗濯機のように頭ばかりぐるぐる回し続ける僕と辛抱強く向き合い、僕にとっては幸運なことに今でもその姿勢を貫いてくれている。<br />
だが今の僕ときたらどうだろう。今でも彼女に向き合えているだろうか。最近のふたりは小さいことで言い合うことが増えた。どちらが悪いという話ではないけれど、きっと彼女は僕の洗濯機頭にそろそろうんざりしかけている。その不気味な頭の回転を少しだけでもいいから止めて「生命のいとなみ」の方に少しは気を回してはくれないの。そんなことを思っているような気はずっとしているのだ。<br />
でも僕の頭は回転を止めない。止めることができない。やがて僕の頭は洗濯機レベルを超えて遠心分離器のように強烈な回転を続け、限界を超えたならショートしてしまうだろう。それがわかっていても僕は考え続ける。なぜなら僕は<strong>ただの生命ではなく人間だからだ。</strong>壊れるまで考え続ける人生を僕は自分で選んだ。これが欠点か長所かはわからないけれど、それがわかる頃にはきっと手遅れになっているだろうな。それがわかっていても僕は考え続ける。なぜなら僕は<strong>ただの生命ではなく遠心分離器の頭を持った僕という人間だからなんだ。ぐるぐるぐるぐるぐるぐる。</strong></p>
<p>ふと気付くと、周囲の風景は見慣れたものになっている。僕はいつのまにか僕が暮らす街へ帰ってきていた。普段は会社を出てから満員電車というブラック・ボックスに入り、ひとたび出てきたところがもう僕の街といった感じだが、ふた駅ぶんの距離を歩く日の僕は気付かないうちにシームレスに僕の街へと侵入している。まるでソリッド・スネークのように。<br />
僕は顔を上げ、駅の方を見る。いつも食材を買う西友の大きな赤い看板が目に入る。昨日は米を買うことについての口論があった。今思えば、米を買うことに関してどこに口論できる要素があるんだか全くわからない。口論の理由を作ったのは例によって僕の遠心分離器のような頭である。なんだか馬鹿みたいだ。</p>
<p>馬鹿だってわかっていても僕は考え続ける。なぜなら僕は人間でありながら、こういうかたちでの思考を続けながらも、朝になれば起きて食事をして会社に行って仕事をして帰ってきて眠ることができる力強く粘り強いいのちとしてこの世に生を受けたからなんだ。僕はきっと、その両方が上手にできるようになれるはずなんだ。<br />
ならばもう少し挑戦を続けたいと思う。なぜなら……もういいや。とにかく僕はぐるぐる考えたことを書きつけるこのブログにまだまだお世話になりそうです。長いこと音沙汰無しでごめんなさい。</p>
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		<item>
		<title>911と、ある恋のおわり (再録)</title>
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		<pubDate>Thu, 11 Sep 2008 13:12:52 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Daichi Sakota</dc:creator>
		
		<category><![CDATA[昔話]]></category>

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		<description><![CDATA[
このポストは、昨年の9月11日にmixi上で書かれた文章に改行などの調整のみ行ったものである。
9月11日。
この日は僕にとって、何か特別な日なのかもしれないと考える。
6年前の今日、僕は恋人の家にいた。夜だった。 
 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><img src="http://www.misikika.com/katakoto/wp-content/uploads/2008/09/e5908de7a7b0e69caae8a8ade5ae9a-1.jpg" alt="" title="" width="500" height="375" class="aligncenter size-full wp-image-146" /></p>
<p style="font-size:11px;color:#666;">このポストは、昨年の9月11日にmixi上で書かれた文章に改行などの調整のみ行ったものである。</p>
<p>9月11日。<br />
この日は僕にとって、何か特別な日なのかもしれないと考える。</p>
<p>6年前の今日、僕は恋人の家にいた。夜だった。 <br />
二人で「シザー・ハンズ」のビデオを観ていたんだけど、内容は全く頭に入ってこなかった。<br />
僕はずっと、隣の女の子のことばかり考えていた。 </p>
<p>彼女には、僕のほかに好きな男がいた。 <br />
相手の男にはちゃんとした恋人がいたが、関係に少しトラブルがあり押せばなびくような状態だった。彼女はそれを楽しんでいた。 <br />
対して僕と彼女はもう4年付き合っていて、トラブルは全くなく、二人の間は（上記の一件を除けば）非常に安定した状態だった。 </p>
<p>彼女は安定に飽き、刺激を求めている。しばらくすれば、自分のところに戻ってくるだろう。それがわかっていたから、僕はずっと待つと彼女に伝えた。<br />
でも、こういう宙ぶらりんな状態を続けるのは心底嫌だった。こんな状態でも、僕が求めれば応じる彼女も嫌だったし、すっぱりと会うことをやめられない自分自身も嫌だった。 </p>
<p>これから僕たちは、どうすればいいんだろう。そんなことばっかり考えているうちに、映画は終わった。<br />
ビデオが止まり、自動的に吐き出された。会話はなかった。<br />
次の瞬間、ビデオ入力モードからテレビに戻った画面に我が目を疑うような光景が映っていた。</p>
<p>貿易センタービルから煙が上がっている。<br />
何だこれは？　映画か何かの凝った宣伝だろうか？</p>
<p>そう思っているうちに、画面右手から旅客機が飛んできて煙を噴いていなかった方のタワーに激突した。新たな煙が上がる。<br />
アナウンサーが、これは生放送だと強調していた。 </p>
<p>アメリカ同時多発テロの勃発だ。</p>
<p>彼女にとって、この事件は「遠く海の向こうの大惨事」だった。 <br />
でも、僕にとってはそうじゃなかった。 <br />
僕にとってこの事件は「常識の崩壊」だった。 <br />
普段当たり前にあると思っているものが、簡単に打ち砕かれるその瞬間を僕は目の当たりにしている。そう強く思った。</p>
<p>後から考えると、僕はこの時に彼女から離れる決断をしていた。僕にとって彼女は「守るべき日常」の象徴だったけれど、そんなものは簡単に壊すことができるし、また自分の意志に反して壊れてしまうこともある。そこに固執してそのひとつだけを守って満足してしまうことは、僕という人間（当時21歳だった）の成長を妨げることになる。そう悟ったのは、ノースタワーの崩壊と同時だった。 </p>
<p>僕は彼女と別れ、新しい恋をみつけた。 <br />
彼女はその後、火遊びの熱が冷めて僕のところに戻ってきたけど、僕には既に新しい恋人がいた。 </p>
<p>僕は毎年、9月11日にはこのことを思い出す。<br />
アメリカ同時多発テロと、ある恋のおわり。</p>
<p>　</p>
<p>今日は転職のためにエージェントと面談をする。<br />
新たな一歩を踏み出したことを、来年からは思い出すだろうか？</p>
]]></content:encoded>
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		</item>
		<item>
		<title>舞城王太郎「煙か土か食い物」</title>
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		<pubDate>Tue, 09 Sep 2008 14:30:21 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Daichi Sakota</dc:creator>
		
		<category><![CDATA[独り言]]></category>

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		<description><![CDATA[

roaster

今でも小説家になりたい僕が生まれて始めて最後まで書き上げた小説は、食料難の東京でどこからともなく肉を調達してきてシステマティックに焼く男の話だった。彼は墨汁みたいになめらかで艶めいた黒のフォルクスワ [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><img src="http://www.misikika.com/katakoto/wp-content/uploads/2008/09/rimg0007.jpg" alt="" title="" width="500" height="375" class="aligncenter size-full wp-image-143" /></p>
<p>
<h2>roaster</h2>
</p>
<p>今でも小説家になりたい僕が生まれて始めて最後まで書き上げた小説は、食料難の東京でどこからともなく肉を調達してきてシステマティックに焼く男の話だった。彼は墨汁みたいになめらかで艶めいた黒のフォルクスワーゲンに乗り、不法労働者を拉致してきて食肉に仕立て上げる。高校二年生の頃、国語の授業の課題だった。<br />
人間を焼いて食う話を読んだ若い女の先生は「独創的でよろしい」という評価をして期末の成績表には5をくれた。母親は泣き出して「なんでこんな話を書くようになっちゃったの」と言って自室に篭りきりになった。一緒に「辞書をぱっと開いたところにある単語をタイトルにして書いてこようぜ」と約束した友人は自分の短編を仕上げてこなかった。ノートはどこかへ行ってしまったのでもう読むことはできないが、とにかくそんなひどい話が僕のはじめての小説となった。</p>
<p>
<h2>暴力に魅せられる人々</h2>
</p>
<p>僕は常に「暴力」というものに魅せられている。<br />
もちろん日常生活ではそんなことはおくびにも出さない。涼しい顔をして「他人を殴るなんてまともな人間のすることじゃない」と言ってのける。それでも、ひとたび家に帰ってみれば本棚にあるほとんどの本が暴力や暗い感情をテーマにしたものだし、日課はこれまでに日本で起きた未解決事件のデータベースを漁ることだ。正確に言うと、僕は「人間と暴力の関係性」にこそ興味を持っている。その人がどんな人間で、どんな暴力を好むのか。それはフィクションの中であっても実際に起こった事件の中であっても変わりない。<br />
誤解のないように言っておきたいのだが、僕は「振るわれた暴力」をけして肯定はしない。本当に、心の底から、人が人を暴力で傷つけるなんてあってはならないことだと思っている。でもヒトである以上どこかでかならず暴力と関わり合って生きているはずだ──哀しい話だが。ならば僕はいっそのこと、その暴力ともっと向き合ってみたいだけなのだ。それをただ恐がって、道の端に追いやって迂回して通るようなことをあまりしたくないだけなのだ。</p>
<p>今回読んだ「煙か土か食い物」にも、暗く深い暴力の影が染みついている。そしてそれは僕の人生のテーマでもある「家族」というところにしっかりと結びつけられている。家族と暴力。<br />
小説のジャンルとしては（僕は小説のジャンルってよくわからないんだけど）ミステリーというところに入るのかもしれない。事件のようなものも起きるし、それに対する推理もなされて最後には種明かしがある。でも僕はこの小説を「家族と暴力」に焦点を当てて読み進んだ。主人公はある一族の四男で、サンディエゴで外科医をしている。家族の他のメンバーからするといささか異端である。長男はエリート指向で東大を出て政界へ入る。次男は高校生の時に失踪する。三男は売れない小説家。父親は昔からひどい暴力を息子たちに振るう。その父親は祖父によってひどい暴力を振るわれていた。血と暴力によって結びつけられた奈津川家。</p>
<p>
<h2>暴力に寄り添った文体</h2>
</p>
<p>僕が感心したのは、ともすれば乱雑と受け取られかねない彼独自の「文体」が、この重たいテーマとぴったり合致していたことである。いや、これは<strong>実際に乱雑</strong>なのかもしれない。勢いにまかせて書きなぐった文章、としか読めない箇所も多い。練られず、推敲されてもいない稚拙な文章に見えることもある。でも、そんな無茶苦茶な文体が実に気持ちよく小説の暴力性と寄り添っている。もうこの内容にはこの文体しかないね、今はそう言ってしまってもいい。<br />
実際、その後に読んだ彼の短編集は僕にいまいち訴えかけてこなかった。そこで語られている暴力が（そう、やはり暴力については一応語られているのだが）何となくとってつけたもののように思えてしまう。あるいは「血」という要素がなかったからかもしれない。僕にとってそこはかなり大事な要素になる。何といっても人生のテーマなのだ。</p>
<p>僕は改めて奈津川家の物語の続編を手に取ることにする。「暗闇の中で子供」。次はこれを読むことにしよう。僕の心は新しい暴力の予感に触れてざわざわと躍る。</p>
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		</item>
		<item>
		<title>従妹の話</title>
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		<pubDate>Mon, 08 Sep 2008 15:19:32 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Daichi Sakota</dc:creator>
		
		<category><![CDATA[独り言]]></category>

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		<description><![CDATA[

離れたきょうだいと芝居

僕には、赤ん坊の頃から知っている従兄妹がいる。上が男の子、下が女の子。
以前「ふたりの母親」の話をちらっと書いたが、この従兄妹はいわゆる「育ての母親」の弟（叔父）の息子・娘にあたる。僕と直接 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><img src="http://www.misikika.com/katakoto/wp-content/uploads/2008/09/rimg0014.jpg" alt="" title="" width="500" height="375" class="aligncenter size-full wp-image-131" /></p>
<p>
<h2>離れたきょうだいと芝居</h2>
</p>
<p>僕には、赤ん坊の頃から知っている従兄妹がいる。上が男の子、下が女の子。<br />
以前「ふたりの母親」の話をちらっと書いたが、この従兄妹はいわゆる「育ての母親」の弟（叔父）の息子・娘にあたる。僕と直接血の繋がりはないけれど、叔父の一家には昔から非常に良くしていただいていているおかげで、ほとんど「何らかの理由で離れて住んでいるきょうだい」みたいな感じで育ってきた。年に3〜4回ほど会っては仲良く遊んだ。旅行に行く時はだいたい一緒に行き、いつも三人一緒にいた。<br />
僕が親に対して特別な感情を抱いているのと同じように、彼らに対してもまた別の特別な感情を抱いている。でも今日はその話ではないので本題に移ろう。今回はそのふたりのうち、下の従妹の話になる。</p>
<p>先週末は従妹の文化祭だった。高校三年生、受験生になる前の最後のイベントだ。<br />
従妹はめんどくさそうに、でも少なからず誇らしそうに「わたしは実行委員のリーダーで、主役もやるんだ」と教えてくれた。僕はにやにやしながら「じゃあその勇姿を見に行かないとな」と言った。えーやめてよー来ないでよ、と彼女は言う。もちろんふたりとも本気じゃない。従兄妹たちがある程度大きくなってからは、口が達者な下の子と僕はふざけてこういった軽口を叩きあうのが常となっていた。いつもの他愛もない軽口。<br />
当然僕としては、最初は別に本当に彼女の芝居を観に行くつもりはなかったのだけど、だんだんと「僕はこの芝居を観ておくべきじゃないか」という気持ちが湧いてきた。何故そんな気持ちになったのか、今ははっきりと思い出せない。以前に上の子の通う大学の文化祭に行った時もそうだった。彼らが自分の知らない顔をしているのが見てみたい──というようなものだったと思う。あるいは親の感覚に近いものだったかもしれない。彼らは普段どんな感じなのだろう、その「普段の感じ」が見てみたかった。たぶんそんなところだ。<br />
僕は改めて従妹とコンタクトを取り、高校の場所と文化祭の日取りと公演のタイムテーブルを教えてもらった。妻にそれを伝えて予定をあけてもらい、一緒に行くことにする。それが先週の日曜日。</p>
<p>日曜日の昼。妻は体調を崩して来ることができなかったので、けっきょく僕はひとりで従妹の高校の前に立っていた。このところ雨雲にその座を譲りがちだった太陽は、こんな時ばっかりきちんと中空にあり、僕の脳天を容赦なく焼き焦がしていた。<br />
僕は恐る恐る校舎に入った。自分が通ったことのない学校というのはいつ入っても不思議なものだ。まったく馴染みのない、それでいて懐かしいような空気が僕を包み込む。落ち着かない気持ちのまま僕は「来賓」と書かれた看板の前まで行き、名簿に自分の名前と住所をしっかりと書き残した。山の中腹あたりで、案内板の柱にこっそり名前を彫り込むように。少なくとも僕はここまでやってきたのだ、ということを確かめるかのように。<br />
実行委員らしい男の子からスリッパとビニール袋を受け取り、校舎の中に入りながら僕は考える。おかしいな、僕は従妹を見に来ただけのはずなんだ。いつも軽口ばっかりで調子のいい明るい従妹が、しっかり者としてクラスを支えてひとつのイベントを成し遂げる、そんな感動的な様子を見に来ただけのはずなのに、僕の心はどうにもおかしな方向に傾きかけていた。<strong>少なくともここまできた</strong>なんて思う必要がどこにある？</p>
<p><span id="more-133"></span></p>
<p>
<h2>高校時代</h2>
</p>
<p>僕がその時に考えていたのは、実に自らの高校時代のことだった。</p>
<p>僕は自分の中学時代の「立ち位置」が嫌いだったので、高校に入った後はそれをどうにかしようと必死に立ち回っていた。<br />
中学時代の僕はおとなしい少年であり、暇があれば図書館に入り浸っていた。生徒会に入っていくつかの仕事をし、好きな女の子とデートをしたりもしたが、基本的にはクラス内でのヒエラルキーが下の方であったので、スポーツが得意で態度の大きい連中にはたまに嫌な目に遭わされた。<br />
僕は嫌な目に遭わされるのも自分が誰かを嫌な目に遭わせるのも嫌だったので、高校では徹底的に「中立」を貫くことにした。クラスのどんな層の人間とも親しく話をして、クラス外にも多数の友達がいる。そのかわり特定の団体には（例えば生徒会とか図書委員とかには）絶対に所属しない、そんなところを目指した。もちろん最終的には特定の仲の良いグループと過ごすようになったが、それでも僕の目論見はそこそこうまくいっているようだった。そのようにして僕は高校の三年間を過ごし、ほとんど誰も知り合いのいない大学へ進学した。</p>
<p>公演を待っている間、廊下で従妹とすれ違った。<br />
目を真ん丸にして驚く彼女に（僕が本当に来るとは思っていなかったのかもしれない）簡単に「頑張れよ」とだけ声をかける。衣装姿のまま仲間たちと忙しそうに働いていた。文化祭。</p>
<p>高校の文化祭というと、僕はいったい何をしていただろう？<br />
高校一年生の時は、確か雑貨屋を開いたような気がする。自分がデザインしたものを売ったのはおそらくこれが初めてだ。二年生の時はゲーム・センター。各家庭からビデオ・ゲームを持ち寄った。三年生の時はお化け屋敷のようなアトラクションだった。あまり積極的に関わった記憶がない。<br />
そこではっとする。僕は高校の時いったいぜんたい<strong>本当に</strong>何をしていたんだ？　思い出せない。沈黙。</p>
<p>
<h2>従妹が手に入れたもの</h2>
</p>
<p>予定時間をだいぶ過ぎ、従妹のクラスの芝居が始まる。<br />
この公演は最終日の最終公演、さぞ気合いが乗っているだろうと思い僕はあえてこの公演を選んだ。演目はやや有名な劇団のオリジナル脚本。笑いあり涙あり、歌あり殺陣あり。僕も名前を聞いたことがあったし、去年あたりからメディアミックス展開として漫画やアニメにもなっていた。やがて部屋の照明が落ち、舞台では前触れもなく大立ち回りが展開する。<br />
程なくして彼女は（以前に自らそう言っていた通り）ヒロインとして舞台中央に登場する。スポットライトが彼女を照らし出す。<strong>「そうか、花火だ！」</strong>という彼女の第一声に僕は釘付けとなる。僕は決意を新たにする。この舞台を隅から隅まで見逃してはならない。座りにくい座席の上で僕は姿勢を正す。見届けてやろうじゃないか、かかってこい。</p>
<p>「演劇」そのものについては、僕は周囲の人たちに比べれば割と観ている方だと思う。もちろん観劇が趣味だという人と比べれば全く敵わないが、それなりに演技に対する目は肥えているはずだ。そんな僕から見れば（かなり上手な人も何人かいたが）さすがにそこで展開されている芝居は技術的にはあくまで「それなり」のものだ。舞台の上にいるのは、まぎれもなく高校生たちだった。手作りのステージ、手作りの音響や照明、少し照れの残る演技。<br />
それでも僕は、知らず知らずのうちに舞台に惹きつけられていった。そこにある「何か」を見つけようとして？　そんなこと、その場では考えつきもしなかった。そこにはまぎれもない創作の世界があり、きちんと練られた物語があり、拙いながら一生懸命に作られた舞台道具があり、そしてその中でおなじみの従妹が懸命に自分のロールを演じていた。技術的には彼女より上手な人は何人もいた。それでも、僕にとっては彼女が一番輝いていた。とうとう芝居がクライマックスを迎えたとき、僕は知らずのうちに涙ぐんでいた。</p>
<p>暗転した舞台に再び照明がともり、カーテン・コールが始まる。一人ずつキャストが出てくる。紹介するのは従妹の声だ。最後に彼女本人も舞台に登場し、スタッフ達を紹介する。<br />
いよいよ横一列に並んだキャストが手を繋ぎ最後の一礼をするところにいたって、そこまで気丈にこらえていた彼女の涙がこぼれ落ちた。震える声で彼女は叫ぶ。本日はご来場まことにありがとうございました。Thunders of applause。</p>
<p>僕はその時、悔しかったのだと思う。僕は色々なものに嫉妬していた。人の心をこんなに簡単に動かす演劇そのものに嫉妬し、大好きな従妹と共にこんな舞台を作り上げる機会を得たクラスメイトに嫉妬し、そんな仲間がいる従妹自身に嫉妬した。<br />
僕ははたして、こんなすばらしい経験をしたことがあっただろうか。わからない。そして恐らく僕にはもうそんな機会は巡ってこない。僕が必死になって中立であることを追求しようとしていた頃、どこかすごく近くでこんな体験をしていた人もきっといたんだろう。僕はただそれが悔しかった。<br />
そして同時に、従妹がそんな経験をしているということにたまらない喜びも感じていた。彼女はああして、大勢の素敵な仲間たちの中心にいる。大人になって懐かしく思い出せば、少なくともきっと僕のような思いはしなくてすむ。</p>
<p>僕は他の観客たちと一緒に手を叩きながら大きく息を吸い、ともすればあふれそうな涙をなんとか追いやる。さあ、いつまでも泣いてはいられない。</p>
<p>廊下で従妹を待ち、つかまえて挨拶をした。感極まって抱き上げてしまいそうになったが、そこは何とかこらえる。彼女だってもう子供ではないのだ。かわりに頭を撫でてやる。<br />
簡単に会話を交わす。お疲れ様。見に来てくれてありがとう。舞台すごく良かった。もう燃え尽きたよ。せっかくのメイクが涙でぐちゃぐちゃだな。あははは。彼女も来るはずだったんだけどちょっと具合が悪くなっちゃって。ええ大丈夫？　うんよろしく言ってくれと言ってたよ。じゃあわたしからもよろしく言っておいて。笑顔。笑顔。じゃあ忙しそうだからこれで。うんまたねありがとう。そうして僕らは別れる。</p>
<p>
<h2>Between the long long distance</h2>
</p>
<p>20歳になる頃、僕の友人たちはよく「もうそろそろ歳を取るのが恐ろしい」と言っていた。十代は終わりを告げて年齢は加算されていく。20、21、22……。そんな友人たちに決まって僕はこう言った。歳を取るのが恐ろしいなんて思ったこと一度もないし、そんなこと思うにはまだまだ早いだろう。だって僕らは20歳だぜ？<br />
日曜日に18歳の従妹が演じた舞台を観て、28歳の僕は生まれて初めて老いを恐れた。僕はその時、確かに自分はもう戻れないところまで進んできているんだということを感じていた。</p>
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		<title>Google Chromeの話</title>
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		<pubDate>Wed, 03 Sep 2008 13:39:07 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Daichi Sakota</dc:creator>
		
		<category><![CDATA[仕事から]]></category>

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		<description><![CDATA[

ブラウザーの話

たまには仕事に関係した話も書く。
「日頃気になったこと」には、おのずと「日頃アンテナを張っていること」が含まれていくからだ。
いわゆる一般のインターネット・ユーザー（というのも変な表現だけれど）は、 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><img src="http://www.misikika.com/katakoto/wp-content/uploads/2008/09/rimg0005.jpg" alt="" title="" width="500" height="375" class="aligncenter size-full wp-image-128" /></p>
<p>
<h2>ブラウザーの話</h2>
</p>
<p>たまには仕事に関係した話も書く。<br />
「日頃気になったこと」には、おのずと「日頃アンテナを張っていること」が含まれていくからだ。</p>
<p>いわゆる一般のインターネット・ユーザー（というのも変な表現だけれど）は、インターネットを見るのに使っているアプリケーションを<strong>ブラウザー</strong>と呼ぶ、ということすら普段はあまり意識していないのではないだろうか？<br />
実はそのブラウザーには、最初からPCの中に入っているInternet ExplorerやSafariの他にも様々な種類がある。それぞれにそれぞれの特色があり、それぞれがシェアの拡大を目指して切磋琢磨している（良い言い方をすると）。そしてその全てにおいて、少しずつホームページ表示の際の「解釈」が異なっている。僕たちウェブ・デザイナーは、そんな解釈の違いをなるべく埋めるデザインを心がけたり、いやいやもう表示はそれぞれ異なるっていうことを常識として一般に周知していった方がいいんじゃないか、みたいなことを言ってみたりして日々過ごしている。<br />
そんなブラウザーのラインナップに、昨日ニュービーが参戦してきた。今やおなじみGoogleによる「Google Chrome」というアプリケーションがそれだ。</p>
<p>
<h2>いまChromeが出るということの意味</h2>
</p>
<p>僕は基本的にはビジュアル・デザイナー──ウェブページの「見た目」をデザインする人──なので、Chromeが技術的にはどうだとか、仕組みが他のブラウザーとどう違うだとか、そういったことは詳しくわからない。僕がわかるのは、Chromeは「Safariと同じレンダリングエンジン（WebKitというやつ）を使用している」ということと、「Mozilla Firefoxのコンポーネントをいくぶん利用している」ということ、「Operaの独自機能の影響が見てとれる」ということ、それに加え「JavaScriptの処理には独自のV8というエンジンを使っている」ということだ。これはつまり、後発のブラウザーだけあって、先駆者から良いところを少しずつ（もちろん開発理念に沿って）採用しており、なおかつ不満なところは独自要素で補っている、ということである。<br />
また、Chromeは「オープンソース」であるというところも大きな特色だろう。これはつまり、サードパーティの開発者が参入しやすいということであり、他のブラウザーと比べて短期間で良いものへと進化していく可能性がある、ということでもある──これも「好意的に予測するならば」という但し書きがつくことになるけれど。<br />
以上の二点が、ひとまず理屈の上ではChromeの優位性を示すことになる。</p>
<p>では、<strong>実際に</strong>他のブラウザーと比べたChromeはどうなんだろう？<br />
あくまで「いわゆる一般のインターネット・ユーザー」から見ると、という点にしぼって書かせていただくならば、「とにかくウェブページの表示が速い」というのは大きなアドバンテージになるだろう。また「極限までシンプルに」という目標を掲げて作られたブラウザーなだけあって、要素が最小限に絞られている。これは一般ユーザーにしてみれば余計な要素がなく迷いにくいということになる。</p>
<p>ただし、逆にヘビーユーザーやウェブ開発者にとっては「物足りない」というところが多いかもしれない。好みのアドオンをどんどん追加していって「自分のブラウザー」を作り上げる、といったFirefoxのような使い方がしたい人は、現状のChromeだと不便さの方を強く感じてしまうだろう。<br />
正直、あとは好みの問題ということになると思う。一般ブログでも、絶賛している人もいればこき下ろしている人もいる。ただ、少なくとも一時のNetscapeのように「まったく問題外」というレベルではない。β版であるのにもかかわらず、だ。</p>
<p>
<h2>まとめ</h2>
</p>
<p>何が言いたいのかよくわからないエントリーになってしまったが（今回は勢いだけで書いているせいだ）、結局僕が何を言いたいかというと「ブラウザーも好みのものを選んでみると面白いよ」ということである。なおかつ、Google Chromeは「選択肢になりうる程度のクオリティを持つ」ブラウザーだった、という私見を述べておく。<br />
実際、僕はWindows機のメインブラウザーはChromeに変更した。もちろん僕はマックユーザーなので「サブ・マシンのメインブラウザーなんて何でもいい」という程度の気持ちではあるけれど、それでもやはり他と比較して気持ち良く使えたから変更したのであって、少なくともここにひとりブラウザーを乗り換えた男がいる、ということを何らかの参考にしていただけると幸いだ。</p>
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		<title>吉田篤弘「フィンガーボウルの話のつづき」</title>
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		<pubDate>Mon, 25 Aug 2008 10:55:32 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Daichi Sakota</dc:creator>
		
		<category><![CDATA[今日読んだ本]]></category>

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		<description><![CDATA[

ラブ・コール

文庫本が好きだ。
本屋の一番目立つところに華やかに陳列されたハードカバーの新刊本たちは「さあさあ新しい本が出たよ、ちょっと値は張るけど買ってね」と営業スマイルをふりまいているように見える。対して文庫本 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><img src="http://www.misikika.com/katakoto/wp-content/uploads/2008/08/rimg00041.jpg" alt="" title="" width="500" height="375" class="aligncenter size-full wp-image-113" /></p>
<p>
<h2>ラブ・コール</h2>
</p>
<p>文庫本が好きだ。</p>
<p>本屋の一番目立つところに華やかに陳列されたハードカバーの新刊本たちは「さあさあ新しい本が出たよ、ちょっと値は張るけど買ってね」と営業スマイルをふりまいているように見える。対して文庫本は「そんなに新しくはないけれど、より多くの人に読んでほしくて……」といった風情で、少し控え目な顔をして横目でこちらを見ている気がする。<br />
何より、僕みたいに「通勤通学の時間が貴重な読書の時間です」という種類の人間には、あの取り回しのしやすさが有り難い。満員電車でハードカバーはとてもじゃないけれど広げられない。</p>
<p>そんなわけで、文庫本が好きだ。<br />
こういう僕なので、今日も文庫本をかばんに入れて会社へ行った。最近は携帯ゲーム機と文庫本を持って通勤し、気分次第でどちらを取り出すかを決めるようにしている。</p>
<p>
<h2>吉田篤弘作品と僕の奇妙な関係</h2>
</p>
<p>「フィンガーボウルの話のつづき」。<br />
実は、僕はこの本の表紙をどこかで見たことがあった。それがいつで、どこで、どういうシチュエーションだったのかは覚えていないのだけど、この独特なイラストレーションは僕の脳裏に鮮明に焼き付いている。それはつまり、ただ書店に並んでいる表紙をなにかのついでに目にしたとか、そういう「普通の」邂逅ではなかったことを示している。
</p>
<p>作者はちょっと変わった作風を持つ人で、本名の吉田篤弘名義以外にも「クラフト・エヴィング商會」名義での著作もある（もしかしたらこちらの方が有名かもしれない）。また、妻である吉田浩美との共著、更にふたりの娘である（という設定の）吉田音名義でも作品を発表している。<br />
元々美術大学の出身でデザイナーとして働いていたという経緯もあり、どの本にも随所に凝った挿絵や写真があしらわれている。</p>
<p>この作家と僕との出会いは、実はかなり昔のことになる。<br />
先月この作家の手による「クラウド・コレクター」という本をたまたま書店で（といってもヴィレッジ・ヴァンガードだけど）見かけ、その場に一緒にいた友人の勧めもあって購入したのだけど、読後に気になって調べてみたところ僕はすでに彼の本を読んだことがあるようだった。<br />
「ないもの、あります。」という絵本がそれで、僕はその本を誰かからいただいたのだった。それが何年前で誰からの贈り物だったのか、そのあたりはいまいちはっきりと思い出せないのだが、少なくとも5年以上は前だった気がする。それすらも定かではないけれど。<br />
僕は、自分で気になって手に入れた本は集中して読み、後からまた読み返すこともままあるのだが、人から勧められたり貸してもらった本はとりあえずざっと流し読みする程度であることが多い。おかげで気になる作家との出会いが5年も遅れてしまったのだから、これは猛省しなくてはいけまい。</p>
<p>
<h2>で、なんの話だったっけ</h2>
</p>
<p>本題。「フィンガーボウルの話のつづき」とはどんな本だったか？</p>
<p>ある作家──「吉田君」という名前なので、これはおそらく作者自身だろう──が、書きたい話をうまく書くことができず困っている。その話は「世界の果ての食堂」が舞台であり、そこに訪れる人々が主人公であることは彼にはわかっているのだが、どうしてもうまく進めていくことができないでいる。彼は東奔西走し、なりゆきでジュールス・バーンという寡作な作家のことを知る。ビートルズのホワイト・アルバムだけを収集していた、奇妙な男。彼もまた、連載小説の予告だけを残して失踪してしまった「物語のしっぽ」を掴もうとする者のひとりだった。ホワイト・アルバムを中心にして展開される、いくつもの短編小説とそれらのつながり。</p>
<p>簡単に文庫本の裏表紙的にまとめるとこういう感じだ。<br />
でも、この作家はやはり読んでこそだと思う。ストーリーテリングが抜群に上手いというのでもないし、読んだ後に感情を揺さぶられるというのでもない。何というか、「行間の雰囲気」がいいのだ。我ながら語彙のなさにがっかりするけど、それでもそう言うしかない。ぜひ手に取ってみていただきたい。</p>
<p>この一ヶ月で、クラフト・エヴィング商會名義の「クラウド・コレクター」、吉田音名義の「夜に猫が身をひそめるところ Think」、そして吉田篤弘名義の「フィンガーボウルの話のつづき」の3冊を読んだ。そろそろ他の作家の本を読んでもいい頃合いだ。<br />
次は何を読もう？</p>
<p><iframe src="http://rcm-jp.amazon.co.jp/e/cm?t=sakota-22&#038;o=9&#038;p=8&#038;l=as1&#038;asins=4101324514&#038;fc1=FFFFFF&#038;IS1=1&#038;lt1=_blank&#038;m=amazon&#038;lc1=66CCFF&#038;bc1=282C2F&#038;bg1=282C2F&#038;f=ifr&#038;nou=1" style="width:120px;height:200px;" scrolling="no" marginwidth="0" marginheight="0" frameborder="0"></iframe></p>
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		</item>
		<item>
		<title>スタート・ボタンの話</title>
		<link>http://www.misikika.com/katakoto/archives/88</link>
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		<pubDate>Sun, 24 Aug 2008 10:46:06 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Daichi Sakota</dc:creator>
		
		<category><![CDATA[独り言]]></category>

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		<description><![CDATA[
「あまり書かない」と宣言したのに、二連続でビデオ・ゲームの話。
友達とビデオ・ゲームをしている時、自分の準備ができていないのに相手がスタート・ボタンを押してゲームを開始してしまうことがある。「待っていてね」と言い残して [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><img src="http://www.misikika.com/katakoto/wp-content/uploads/2008/08/rimg0002.jpg" alt="" title="" width="500" height="375" class="aligncenter size-full wp-image-89" /></p>
<p>「あまり書かない」と宣言したのに、二連続でビデオ・ゲームの話。</p>
<p>友達とビデオ・ゲームをしている時、自分の準備ができていないのに相手がスタート・ボタンを押してゲームを開始してしまうことがある。「待っていてね」と言い残してトイレに立ち、戻ってきたら自分のキャラクターがサンドバッグにされていたりすることもある。<br />
こういった（軽度の）トラブルは、プレイヤー1とプレイヤー2の両方に決定権があることから生まれている。こういったトラブルをなくすために、ソフトウェア・メーカーが「両方とも準備オーケイの状態にならないとスタートできない」だとか「特定の条件を満たした側のプレイヤーが決定権を持つ」というような制限を加えてソフトウェアを開発することも多い。</p>
<p>何とかもっとスマートにこの手のトラブルをなくす方法はなかったのだろうか、とぼんやり考えていて、はっと思い出した。<br />
慌ててインターネットで調べると、やはり記憶に間違いはなかった。こんにちのビデオ・ゲームの基礎を築いたと言っても過言ではない任天堂のファミリーコンピュータにおいては、そもそも<strong>プレイヤー2のコントローラにはスタート・ボタンがついていなかったのだ。</strong><br />
何のことはない、その後の我々が物事を複雑にしていただけのことだったのである。プレイヤー1のみが決定権を握る……今の我々に、はたしてこんなシンプルなソリューションを思いつくことができるだろうか。</p>
<p>ユーザー・インターフェースを考えるということは、かくも難しいことである。選択肢を制限して逆にユーザビリティが上がる、ということもあるのだ。</p>
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		</item>
		<item>
		<title>宝石の話</title>
		<link>http://www.misikika.com/katakoto/archives/79</link>
		<comments>http://www.misikika.com/katakoto/archives/79#comments</comments>
		<pubDate>Fri, 22 Aug 2008 16:01:56 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Daichi Sakota</dc:creator>
		
		<category><![CDATA[独り言]]></category>

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		<description><![CDATA[
TwitterのBaroのポストを見ていて考えたこと。
昔は、自分とちゃんと深い話ができる人って相当貴重だった。
高校生の時とか、大体の奴が音楽とかスポーツとか女の子のことばっかり考えていて、本を読んで知識をつけて議論 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://www.misikika.com/katakoto/wp-content/uploads/2008/08/rimg0028.jpg"><img src="http://www.misikika.com/katakoto/wp-content/uploads/2008/08/rimg0028.jpg" alt="" title="" width="500" height="375" class="aligncenter size-full wp-image-83" /></a></p>
<p><a href="http://twitter.com/Baro/statuses/895613655" target="_blank">TwitterのBaroのポスト</a>を見ていて考えたこと。</p>
<p>昔は、自分とちゃんと深い話ができる人って相当貴重だった。<br />
高校生の時とか、大体の奴が音楽とかスポーツとか女の子のことばっかり考えていて、本を読んで知識をつけて議論をぶつけ合うことができる人っていうのは宝石みたいな希少性があった。少し言葉を交わせばすぐにその輝きは見てとることができて、お互い認めあって長いこと話をし続けることができた（夜を徹して話し続けたことだって少なからずある）。<br />
でも大人になると、高校の時にちゃらんぽらんな生活をしてきた人だって、何とか社会と適応していくためにそこそこ本も読むし、だいたいはちょっとした話くらいならできるようになっている。その人が「本当に宝石かどうか」というのは、かなり深く足を突っ込んでみないと判断することができない。</p>
<p>そう考えると、その人のことを知ろうとした時に支払う苦労っていうのは昔よりも増えていて、なおかつリスクは大きくなっているんだな、というように思った。<br />
ただ、そのぶん「この人はヤバい、逆立ちしてもかなわない、どうやったらこんな人になれるんだろう」という人に出会える可能性というのも増えてはいる。そういう人はきっと「高校生の時に既に宝石だった」人で、きちんと今に至るまで磨きをかけ続けてきた人なのだろうな。</p>
<p>もちろん、Baroがこういうことを考えている、と言っているわけではないのであしからず。僕が勝手にそんなことを考えていただけだ。<br />
そして、彼は僕の数少ない「宝石」のコレクションの一人でもある。</p>
]]></content:encoded>
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		</item>
		<item>
		<title>ビデオ・ゲームの話</title>
		<link>http://www.misikika.com/katakoto/archives/68</link>
		<comments>http://www.misikika.com/katakoto/archives/68#comments</comments>
		<pubDate>Wed, 20 Aug 2008 10:41:51 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Daichi Sakota</dc:creator>
		
		<category><![CDATA[独り言]]></category>

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		<description><![CDATA[

ビデオ・ゲームの話をしよう、マスコミの話をしよう

このブログには、あまりビデオ・ゲームの話をたくさん書くつもりはない。だけど、僕の普段の生活において「ビデオ・ゲームで遊んでいる時間」というのはかなり多くの割合を占め [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><img src="http://www.misikika.com/katakoto/wp-content/uploads/2008/08/rimg0004.jpg" alt="" title="" width="500" height="375" class="aligncenter size-full wp-image-72" /></p>
<p>
<h2>ビデオ・ゲームの話をしよう、マスコミの話をしよう</h2>
</p>
<p>このブログには、あまりビデオ・ゲームの話をたくさん書くつもりはない。だけど、僕の普段の生活において「ビデオ・ゲームで遊んでいる時間」というのはかなり多くの割合を占める。山登りが趣味なら山を登っている時間が多くを占めるだろうし、スクーバ・ダイビングが好きなら海に潜っている時間が多くを占めるだろう。趣味というのはそういうものだ。<br />
なので、当然といえば当然なのだけど、普段の生活で気になったことや考えたことをテーマとしているこのブログにまったくゲームの話を出さないというのは難しい。今回は無理をせずにゲームの話を書いてみることにしよう。</p>
<p>僕は最近、インターネット回線を介して複数のプレイヤーが集まり様々な火器を駆使して殺し合うビデオ・ゲームを毎晩プレイしている。<br />
いわゆる戦争もの・軍事ものの世界観の上で、やれ殺したの殺されたのと一喜一憂するたびに頭をよぎるのは、この頃ますますヒート・アップしてきているように思えるマスコミによる<strong>ゲーム・バッシング</strong>だ。</p>
<p>通り魔殺人、無差別殺人、銃の乱射事件、未成年による親殺し。こういった事件が報道されるたびに、メディアは犯人の身辺を徹底的に調べ上げ、暴力描写のある漫画やゲームを好んでいたことがわかると嬉々として取り上げる。ニュースキャスターは眉根を寄せ、「こういったものたちが容疑者の人格形成に何らかの影響を及ぼしていたのかもしれません」と我々に告げる。そして机の上で原稿の角をとんとんと揃え、カメラに向かってふたたび語り始める。「それでは次のニュース……」</p>
<p>
<h2>犯人と我々はまったく違う種類の人間なのか</h2>
</p>
<p>僕は基本的にこういう報道が好きではない。<br />
ある男が通り魔殺人事件を起こしました、こんなことになった原因はこれです。物事はそういう単純な話ではないと僕は思っている。家族や学校の友人との会話がなく、自分の思いを外に出してガス抜きすることができなかったのかもしれない。勉強や仕事のことでとても強いストレスがあったのかもしれない。それらを何とか和らげるために刺激の強いビデオ・ゲームに手を出して、それでもどうにもできずに犯行に走ってしまったのかもしれない。僕自身も内へ内へと溜め込みがちな人間なので、そんな犯人に対して「自分も一歩間違えばああなっていたかもしれない」と思わずにはいられないのだ。<br />
もちろん、一般の人はどれだけストレスをためたとしても「そうだ、無差別に人を殺せば気持ちが晴れるかもしれない」とは思わないだろうし、万が一そう思ってもその後のことや被害に遭った人のことを考えて行動には移さないだろう。でも、そんな一般の人（あるいは<strong>我々</strong>）と彼はそんなに違う種類の人間だろうか。彼だって、しかるべき道のりを経てそこへ至ったのではないだろうか。犯人が生まれついての狂人で、あるビデオ・ゲームをプレイしたことだけがきっかけでこうした事件を起こしたのだ、というようなケースはほぼゼロだと思っているし、僕以外の多くの人もそう思っていることだろう。</p>
<p>しかしそれと同時に、そうは言っても確かにビデオ・ゲームだって原因のひとつかもしれない、と思う自分もいる。<br />
過剰に特定のビデオ・ゲームにのめり込んでいる時期は、いざ街に出た時に「物陰に隠れながら進まないと狙撃されるかもしれないな」だとか「あそこに駐車してある乗用車を奪って進もう」などと反射的に考えている自分に気がついて愕然とすることがある。現実の世界の景色を見て、脳が完全にビデオ・ゲームの世界の話と混同しているのだ。<br />
ノン・ゲーマーの方々には信じられないことだろうが、こういったことは多くのヘビー・ゲーマーには経験のあることで、もちろんそういう風に考えたからといって本当に物陰をこそこそと移動したりはしないし、自動車の窓ガラスを割って逃走したりもしない。それでも、もしかしたら、<strong>きちんと物事の判断をつけることができない子供の頃からこういう状態だったら</strong>、何か間違いがあっても不自然なことではないかもしれないとも思うのだ。</p>
<p>
<h2>それでは次のニュース</h2>
</p>
<p>僕はこのポストで「ビデオ・ゲームが悪いかどうか」という議論について結論を出すつもりはない。いわゆる「ゲーム脳」的な報道のされ方はゲーマーとして頭に来るが、かといって僕にはビデオ・ゲームに責任がないとも言えないからだ（上記のように）。ただ、それとはまったく異なる次元の話として、メディアはもっとクールに第三者的視点を保って欲しいとは常々思っている。<br />
犯人は毎朝元気に挨拶をする感じの良い子でした、卒業文集には何々になりたいと書いていました、自室からは大量に漫画やゲームが出てきました、そんな話はどうだっていいのだ。誰が犯人の昔の夢なんか知りたいっていうんだ。100パーセントどうだっていい。<br />
犯人は<strong>今現在</strong>どういう状況におかれているのか（留置場の中でどんな様子なのか）、今後どういった手順により裁かれるのか（何日まで取り調べられて何日から裁判があるのか）、事件の影響は世間にどんな風に及んでいるのか（歩行者天国は廃止されるのかどうか）、報道は少なくともそういった情報をもっと我々に届けるべきなのではないか。</p>
<p>「次のニュース」は、渋谷に猿がいて大勢の人が猿を捕まえるために走り回りました、というニュースかもしれない。仕方のないことだとは思うんだけど、そういうのを見ると僕は「一体ニュースって何なんだろう」と首をかしげてしまうことになる。何十人も死にました、それから猿が逃げました。うーん。</p>
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