宝石の話

TwitterのBaroのポストを見ていて考えたこと。

昔は、自分とちゃんと深い話ができる人って相当貴重だった。
高校生の時とか、大体の奴が音楽とかスポーツとか女の子のことばっかり考えていて、本を読んで知識をつけて議論をぶつけ合うことができる人っていうのは宝石みたいな希少性があった。少し言葉を交わせばすぐにその輝きは見てとることができて、お互い認めあって長いこと話をし続けることができた(夜を徹して話し続けたことだって少なからずある)。
でも大人になると、高校の時にちゃらんぽらんな生活をしてきた人だって、何とか社会と適応していくためにそこそこ本も読むし、だいたいはちょっとした話くらいならできるようになっている。その人が「本当に宝石かどうか」というのは、かなり深く足を突っ込んでみないと判断することができない。

そう考えると、その人のことを知ろうとした時に支払う苦労っていうのは昔よりも増えていて、なおかつリスクは大きくなっているんだな、というように思った。
ただ、そのぶん「この人はヤバい、逆立ちしてもかなわない、どうやったらこんな人になれるんだろう」という人に出会える可能性というのも増えてはいる。そういう人はきっと「高校生の時に既に宝石だった」人で、きちんと今に至るまで磨きをかけ続けてきた人なのだろうな。

もちろん、Baroがこういうことを考えている、と言っているわけではないのであしからず。僕が勝手にそんなことを考えていただけだ。
そして、彼は僕の数少ない「宝石」のコレクションの一人でもある。

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2 Comments on "宝石の話"

  1. んら
    23/08/2008 at 17:59 Permalink

    なんだー 作ったやつじゃないのか(´з`)オハズカシイ
    でも趣向は近いにちがいない、ウン

    本当の友人は沈黙を共有できるらしいぞっ
    あたしにもそういう人が1人います。

  2. Daichi Sakota
    24/08/2008 at 19:50 Permalink

    > んら
    お互い黙っていても苦じゃない人、っていうのも貴重だね。
    付き合いが浅い人相手だと、つい焦って沈黙を埋めようとしてしまう。
    いつも自然体でいられればと思うんだけど、どうにも。

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