ビデオ・ゲームの話

ビデオ・ゲームの話をしよう、マスコミの話をしよう

このブログには、あまりビデオ・ゲームの話をたくさん書くつもりはない。だけど、僕の普段の生活において「ビデオ・ゲームで遊んでいる時間」というのはかなり多くの割合を占める。山登りが趣味なら山を登っている時間が多くを占めるだろうし、スクーバ・ダイビングが好きなら海に潜っている時間が多くを占めるだろう。趣味というのはそういうものだ。
なので、当然といえば当然なのだけど、普段の生活で気になったことや考えたことをテーマとしているこのブログにまったくゲームの話を出さないというのは難しい。今回は無理をせずにゲームの話を書いてみることにしよう。

僕は最近、インターネット回線を介して複数のプレイヤーが集まり様々な火器を駆使して殺し合うビデオ・ゲームを毎晩プレイしている。
いわゆる戦争もの・軍事ものの世界観の上で、やれ殺したの殺されたのと一喜一憂するたびに頭をよぎるのは、この頃ますますヒート・アップしてきているように思えるマスコミによるゲーム・バッシングだ。

通り魔殺人、無差別殺人、銃の乱射事件、未成年による親殺し。こういった事件が報道されるたびに、メディアは犯人の身辺を徹底的に調べ上げ、暴力描写のある漫画やゲームを好んでいたことがわかると嬉々として取り上げる。ニュースキャスターは眉根を寄せ、「こういったものたちが容疑者の人格形成に何らかの影響を及ぼしていたのかもしれません」と我々に告げる。そして机の上で原稿の角をとんとんと揃え、カメラに向かってふたたび語り始める。「それでは次のニュース……」

犯人と我々はまったく違う種類の人間なのか

僕は基本的にこういう報道が好きではない。
ある男が通り魔殺人事件を起こしました、こんなことになった原因はこれです。物事はそういう単純な話ではないと僕は思っている。家族や学校の友人との会話がなく、自分の思いを外に出してガス抜きすることができなかったのかもしれない。勉強や仕事のことでとても強いストレスがあったのかもしれない。それらを何とか和らげるために刺激の強いビデオ・ゲームに手を出して、それでもどうにもできずに犯行に走ってしまったのかもしれない。僕自身も内へ内へと溜め込みがちな人間なので、そんな犯人に対して「自分も一歩間違えばああなっていたかもしれない」と思わずにはいられないのだ。
もちろん、一般の人はどれだけストレスをためたとしても「そうだ、無差別に人を殺せば気持ちが晴れるかもしれない」とは思わないだろうし、万が一そう思ってもその後のことや被害に遭った人のことを考えて行動には移さないだろう。でも、そんな一般の人(あるいは我々)と彼はそんなに違う種類の人間だろうか。彼だって、しかるべき道のりを経てそこへ至ったのではないだろうか。犯人が生まれついての狂人で、あるビデオ・ゲームをプレイしたことだけがきっかけでこうした事件を起こしたのだ、というようなケースはほぼゼロだと思っているし、僕以外の多くの人もそう思っていることだろう。

しかしそれと同時に、そうは言っても確かにビデオ・ゲームだって原因のひとつかもしれない、と思う自分もいる。
過剰に特定のビデオ・ゲームにのめり込んでいる時期は、いざ街に出た時に「物陰に隠れながら進まないと狙撃されるかもしれないな」だとか「あそこに駐車してある乗用車を奪って進もう」などと反射的に考えている自分に気がついて愕然とすることがある。現実の世界の景色を見て、脳が完全にビデオ・ゲームの世界の話と混同しているのだ。
ノン・ゲーマーの方々には信じられないことだろうが、こういったことは多くのヘビー・ゲーマーには経験のあることで、もちろんそういう風に考えたからといって本当に物陰をこそこそと移動したりはしないし、自動車の窓ガラスを割って逃走したりもしない。それでも、もしかしたら、きちんと物事の判断をつけることができない子供の頃からこういう状態だったら、何か間違いがあっても不自然なことではないかもしれないとも思うのだ。

それでは次のニュース

僕はこのポストで「ビデオ・ゲームが悪いかどうか」という議論について結論を出すつもりはない。いわゆる「ゲーム脳」的な報道のされ方はゲーマーとして頭に来るが、かといって僕にはビデオ・ゲームに責任がないとも言えないからだ(上記のように)。ただ、それとはまったく異なる次元の話として、メディアはもっとクールに第三者的視点を保って欲しいとは常々思っている。
犯人は毎朝元気に挨拶をする感じの良い子でした、卒業文集には何々になりたいと書いていました、自室からは大量に漫画やゲームが出てきました、そんな話はどうだっていいのだ。誰が犯人の昔の夢なんか知りたいっていうんだ。100パーセントどうだっていい。
犯人は今現在どういう状況におかれているのか(留置場の中でどんな様子なのか)、今後どういった手順により裁かれるのか(何日まで取り調べられて何日から裁判があるのか)、事件の影響は世間にどんな風に及んでいるのか(歩行者天国は廃止されるのかどうか)、報道は少なくともそういった情報をもっと我々に届けるべきなのではないか。

「次のニュース」は、渋谷に猿がいて大勢の人が猿を捕まえるために走り回りました、というニュースかもしれない。仕方のないことだとは思うんだけど、そういうのを見ると僕は「一体ニュースって何なんだろう」と首をかしげてしまうことになる。何十人も死にました、それから猿が逃げました。うーん。

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2 Comments on "ビデオ・ゲームの話"

  1. Amateras@臼猫
    21/08/2008 at 19:05 Permalink

    足撃たれてのたうちまわりながら命乞いする非抵抗の敵を蹴り殺したり
    頭撃てば後ろの壁に脳みそ混じりの血がべっとりと付いたり
    すれ違いざまに頭に袋被せて悲鳴を上げてる相手が動かなくなるまでバットで殴り続けたり

    正直、普通の人は引くと思うよ。

    ESRBが昔より厳しくて、以前よりAOになりやすくなったから最近は木偶キャラゲー増えてるけど。
    どこかの記事で暴力ゲームより最近の拷問映画のほうがよっぽど酷いとか書いてあったけど、まあ似たような物だと思う。ただ、なぜか報道に出てくるゲームはブラックユーモア系のギャグゲーばっかりだったり。まあギャグで人を殺すのもどうかという話もあるけれど。

    ところでメール送ったけどもしかして届いてない?

  2. Daichi Sakota
    22/08/2008 at 0:44 Permalink

    > Amateras
    ビデオ・ゲームにおける残酷な描写の例を出してくれたようだけど、そのゲームがどれだけ残酷な表現をしているかというのは今回の話とはほとんど関係なくて、ただセンセーショナルな報道をすることによって世間の耳目を集めるためだけにビデオ・ゲームが矢面に立たされているんじゃないか、という話なんだけど。

    メールは来てます。どうすべきか考えているのでもう少し待ってください。

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