
発車のベルに顔を上げると、僕の乗った急行電車は鷺沼の駅を出ようとしているところだった。
しまった、降りそびれた。まあいいや、次で降りれば同じ各駅停車に乗り継げる──そう思った次の瞬間に、僕はもっと先までいくことを決めていた。僕の暮らす街を急行電車で越え、もっと遠くへ。
僕は文庫本に顔を戻した。さっきまで読んでいた箇所をふたたび読み始めるが、電車が僕の街を通り過ぎる瞬間には顔を上げて窓の外を見やった。
さよなら、僕の街。今日はもう少し後で会おう。
最近たまにこういうことをする。少し歩きたくなった時に、ふた駅ほど先まで電車に乗って、そこから歩いて帰る。逆にふた駅手前で降りないのは単純に歩く道を知らないからだ。僕は極端な方向音痴である。
歩きたくなるのは、夕食を食べすぎた時や考え事をしたくなった時のことが多い。ずっしりと重い胃袋を抱えながら、贖罪のようにひたすら歩き続ける。頭はそんな体の事情などお構いなしにぐるぐるぐるぐると色んなことを考え出す。回転する脳細胞のうなりまで聞こえてくるかのようだ。
今日考えたのは、主に自分自身のことである。自分のこれまでの人生、これからの人生、そしてそれに結果的に付随してくることになった様々なもの・こと・ひと。
まず僕は、のろのろとしんどそうに足を前に前に動かし続ける体のこと、そしてそれとは対象的にきびきびと回転する頭のこと、そして人間という生き物のことを思った。
こんなふうにぐちゃぐちゃと物事を考えては自ら思考の底無し沼にはまり込む生き物は人間だけだろうが、それでも人間は生物の基本的ないとなみ──生まれ落ちたその日から毎日食事をし、なすべきことをして、やがて家族を作って長い眠りにつく──を続けている。げに驚くべきは生命の力強さ、粘り強さであろう。そんなことをまず(イントロダクション的に)考えた。
次に僕は、妻と結婚するずっと前に行った海のことを思い出した。
夏と呼べそうな季節はもうとっくに過ぎ去り(ちょうど今くらいの季節だ)、荒ぶる風に不安そうにさざなみを立てる夜の海。僕らはふたりきりではなく、そばには友人もいた。彼らは僕らのこの付き合いのことを知らなかった。そして、そうだ、僕はその頃まだ昔の恋を引きずっていた。
911の話からは一年以上が経っていたが、それでも新しい恋をうまく取り扱えない自分自身にいらいらしていた。隣にいる彼女への気持ちがゆらいでいるわけではない──ただ、あまりに長く続いた以前の恋があまりに唐突に終わりを迎えたため、その直後に付き合い始めた彼女にどう接すればいいかわからなかったのだ。彼女の前でそんな自分でしかいられないことに腹を立て、何も知らずに(あるいは知っているけど何も言わずに)付き合ってくれる彼女に対しては罪悪感でいっぱいだった。
僕は歩きたくなった。歩きたくなったということは、例によって考え事をしたくなったということだ。僕は一言ふた言もごもごとみんなに告げ、後ろを振り返ることなくひとり波打ち際を歩き始めた。
さすがに深夜をまわって終電もなくなったこの時間、浜辺にあまり人の姿はない。たまに見回りの警察官とすれ違うくらいだ。24時間営業の海の家にはそれなりに客が入っているようで、開け放たれたカウンターバーに設置されたDJセットのウーファーに合わせて酔った若者が体をゆらしている。僕は足を止め、少し離れた場所から低音の単調なリズムに耳を傾けた。
ふと気付くと、隣に彼女がいた。どうしたの、と彼女は僕に聞いた。どうして急に歩いていったの。僕はそれには答えず、みんなは? と質問を返した。
友人たちは一緒にはおらず、彼女が一人で追いかけてきたことを知ると僕の胸は熱くなった。彼女を抱きしめて頭のスイッチをオフにする。今ここに、生きた我々がいるのに、なんだって僕は死んだ恋のことばかり考えなくちゃいけないっていうんだ?
僕たちはしばらくそのまま抱き合い、やがてどちらからともなく離れ、来た道を並んで歩いて帰った。
「何も知らずに」なんて馬鹿言っちゃいけない。彼女は確実に僕がまだ昔の恋を引きずっていることを知っていた。それなのに僕を追って歩いてきてくれたあの夜を境に、僕は彼女にちゃんと向き合えるようになったんだ。確かにそうだった。あれからいったい何年が経った?
指折り数えると、あれからもうまる6年が経っている。我々はその後も付き合いを続け、去年に結婚した。彼女はいつまでも新品の洗濯機のように頭ばかりぐるぐる回し続ける僕と辛抱強く向き合い、僕にとっては幸運なことに今でもその姿勢を貫いてくれている。
だが今の僕ときたらどうだろう。今でも彼女に向き合えているだろうか。最近のふたりは小さいことで言い合うことが増えた。どちらが悪いという話ではないけれど、きっと彼女は僕の洗濯機頭にそろそろうんざりしかけている。その不気味な頭の回転を少しだけでもいいから止めて「生命のいとなみ」の方に少しは気を回してはくれないの。そんなことを思っているような気はずっとしているのだ。
でも僕の頭は回転を止めない。止めることができない。やがて僕の頭は洗濯機レベルを超えて遠心分離器のように強烈な回転を続け、限界を超えたならショートしてしまうだろう。それがわかっていても僕は考え続ける。なぜなら僕はただの生命ではなく人間だからだ。壊れるまで考え続ける人生を僕は自分で選んだ。これが欠点か長所かはわからないけれど、それがわかる頃にはきっと手遅れになっているだろうな。それがわかっていても僕は考え続ける。なぜなら僕はただの生命ではなく遠心分離器の頭を持った僕という人間だからなんだ。ぐるぐるぐるぐるぐるぐる。
ふと気付くと、周囲の風景は見慣れたものになっている。僕はいつのまにか僕が暮らす街へ帰ってきていた。普段は会社を出てから満員電車というブラック・ボックスに入り、ひとたび出てきたところがもう僕の街といった感じだが、ふた駅ぶんの距離を歩く日の僕は気付かないうちにシームレスに僕の街へと侵入している。まるでソリッド・スネークのように。
僕は顔を上げ、駅の方を見る。いつも食材を買う西友の大きな赤い看板が目に入る。昨日は米を買うことについての口論があった。今思えば、米を買うことに関してどこに口論できる要素があるんだか全くわからない。口論の理由を作ったのは例によって僕の遠心分離器のような頭である。なんだか馬鹿みたいだ。
馬鹿だってわかっていても僕は考え続ける。なぜなら僕は人間でありながら、こういうかたちでの思考を続けながらも、朝になれば起きて食事をして会社に行って仕事をして帰ってきて眠ることができる力強く粘り強いいのちとしてこの世に生を受けたからなんだ。僕はきっと、その両方が上手にできるようになれるはずなんだ。
ならばもう少し挑戦を続けたいと思う。なぜなら……もういいや。とにかく僕はぐるぐる考えたことを書きつけるこのブログにまだまだお世話になりそうです。長いこと音沙汰無しでごめんなさい。
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