Gone too soon

唐突すぎて信じられないマイケル・ジャクソンの死から、まる一日以上が経った。
ようやくその実感が身体に染み渡ってくるにつれて、じわじわと悲しみも増してくる。そんな僕の耳について離れない曲があった。

「Gone too soon」は1991年のアルバム「Dangerous」に収録されている。美しいメロディとシンプルな詩の反復がストレートに胸をつくバラード・ナンバーだ。
この曲は、本当は AIDS で亡くなったライアン・ホワイト氏の死を悼んでマイケルが書いた曲なんだけれど、今となっては聴けば聴くほどマイケル本人のことにしか思えないんだ。

聴いたことがない人はここで聴ける:
http://www.youtube.com/watch?v=KuavXaJjuqw
ここのコメント欄にも同じ意見の人がいるようだ。

ちょっとセンチメンタルすぎると思ったので、公開するかどうかはかなり迷ったんだけど、今回この歌を日本語に訳してみた。
当たり前だけど、英語の歌詞を翻訳したのなんて初めてだ。アマチュアの仕事なので細かい部分は大目に見てほしいところだけど、精いっぱい元の詩の良さを生かそうと努力してみたよ。

英詩が苦手な人にも、僕の感じたことを少しでも共有してもらえたら嬉しいです。
そして、しめっぽいのはこれで終わりだ。

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マイケル・ジャクソンの話

Twitter への post ばかりしていると、ブログへの post が減る。それはこのブログを見ていただければ火を見るよりも明らかだ。インプットに最小限の加工をほどこしたらすぐにアウトプットしてしまっているわけだからね。
だけど僕は久し振りに筆を取った。マイケル・ジャクソン(a.k.a. King of Pop)の死について、Twitterの140字制限で書くことは難しい。そうでしょう?
ただでさえめったに更新しないこのブログが、こうして暗い記事ばかりになってしまうのはちょっと困りものだなと思いつつも、どうしても書かずにはいられない。まずは思い出話から……

僕がマイケル・ジャクソンのファンを始めたのは小学校6年生の頃だから、あれはもう15年以上前のことになる。
ディズニー・ランドで見た「Captain EO」に衝撃を受けた。押し入れからほこりを被ったレコードを出してきて Thriller を聴き、両親のビデオラックを漁ってショート・フィルムをむさぼるように見まくり、お気に入りの曲だけ集めたカセット・テープを作っては友人に押し付けて変な顔をされた。あの頃マイケル・ジャクソンが好きだなんて言っている同級生はひとりもいなかった。
なんとか両親を口説き落とし、Dangerous Tour のチケットを取ってもらった。はるか彼方のステージ上で豆粒のようなマイケルが何回ムーンウォークをするか必死で数えていた。あの独特な踊りを頑張って真似した。ツヤツヤの黒い長ズボンを買ってもらって、それを穿いてムーン・ウォークを披露しては大人たちに笑われた。

このように、彼は僕にとって初めてファンになったアーティストだった。

さて。
そんな僕だけれど、50歳で亡くなるのは若すぎるとか、彼が亡くなって悲しいとか、そういう通り一遍の言葉をここに書く気はあまりない。
ただ、僕は彼が可哀想でならないんだ。ファンはその素晴らしいクリエイションを充分に享受したけれど、彼自身はきっとほとんど満たされずにいたはずだから。
幼い頃からショウ・ビズの世界に身を置いて、幼児期に満たされなかった心を大人になってから満たそうとして、その行いが「社会的に incorrect だから」ということでずっと傷つけられてきたマイケル・ジャクソン。「踊っている時だけはすべてのしがらみから解き放たれる」と語っていた彼にとって、アルバムが何億枚売れたとか富がどうとか、ほとんど関係なかったはず。
そして満たされないまま亡くなったとすると、ファンとしてこれほど悲しいことはない。

それでも、テレビで街頭インタビューに答えるファンのひとりがこう言っていた。「すばらしい音楽はこれからも生き続ける」。
マイケル・ジャクソンの音楽は、これからも何世紀にもわたってずっと聴き継がれていくだろう。そして様々な人にポジティブな影響を与えていくんだ。そのことだけが救いだなと思う。

そう、結局そういうことなんだよな。グダグダ言わずに僕たちは音楽を聴こう。
それでいいんだ。忌野清志郎のロック葬とか、すっごい素敵だったじゃないか。な。それと同じだ。

ということで、今日は久し振りにマイケル・ジャクソンの smart playlist を iPhone に sync した。一日これを聴きながら過ごそうと思う。
みんなも久し振りにマイケル・ジャクソンの音楽を聴こうぜ。R.I.P.

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一昨日の話

前回のpost、ずいぶんとんがった書き方をしているね。自分が混乱している様子がよくわかる。
実際その「イベント」は穏やかに進み、別に人生が変わるっていうほどのことでもなかったんだけど、やはりそれが僕の心にあたえたインパクトっていうのは──認めたくはないけれど──大きかった。

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明日の話

明日、ちょっと変なイベントがある。
僕の人生の何かが変わる(変わってしまう)気が、半分くらいしている。もう半分は、どうせ何もなくて普通に一日が過ぎてお終いだろ、という気持ち。さあどっち?

何も知らない皆さんからすれば抽象的もいいとこだろうけど、覚え書きとして書いておきたかった。
明日が終わったら、たぶん詳しく具体的に書きます。僕には書く権利があると思うから、彼らの許可は取りません。

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Macに入れているソフトウェアの話

さて、新年(実質)一発目のpostはMacの話。
僕は自他共に認めるMacフリークでApple社の犬だ。それぞれの用途があるとはいえ、Windows機はできれば使いたくないと思っている──一部の狂信者ほど毛嫌いはしていないけれども。
なので、自宅にいる時は自分のMacBook Proをいかに便利に使うかということを考え、かなりの時間を環境改善に充てている。オンラインウェアを探し、評判をチェックし、実際に試用してみて、用途に応じてリプレースする。そんな作業の中で(僕のものさしの上においてだが)だんだんと精査されてきたアプリケーションをここにリストアップしてみた。
もちろん、今後はこの記事をアップデートしていくぞ。皆さんにおいても、なにかの参考になれば幸いです。おすすめアプリケーション情報などもぜひお寄せください。

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謹賀新年

あけましておめでとうございます。

年が明け、新しい一年が始まるということで、やはり「去年はここが良くなかった」「今年はもっとこうしよう」という思いが生まれてくるわけです。
このブログについて僕が思ったのは、やはり「少し形にこだわりすぎたかな」ということ。こだわること自体は悪いことだとは思わないけれど、やはり過ぎたるは及ばざるが如しということなんだろうな。「あ、これブログに書きたい」と思うネタがあったとしても、「でもKatakoto向きじゃないから書かないでおこう」となってしまうというのは、まあブログの本質というところから考えても本末転倒だ。

ということで、今年はもうちょっとラフにいきたいと思う。よろしくお願いします。

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歩く日の僕の洗濯機のような頭の話

発車のベルに顔を上げると、僕の乗った急行電車は鷺沼の駅を出ようとしているところだった。
しまった、降りそびれた。まあいいや、次で降りれば同じ各駅停車に乗り継げる──そう思った次の瞬間に、僕はもっと先までいくことを決めていた。僕の暮らす街を急行電車で越え、もっと遠くへ。
僕は文庫本に顔を戻した。さっきまで読んでいた箇所をふたたび読み始めるが、電車が僕の街を通り過ぎる瞬間には顔を上げて窓の外を見やった。
さよなら、僕の街。今日はもう少し後で会おう。

最近たまにこういうことをする。少し歩きたくなった時に、ふた駅ほど先まで電車に乗って、そこから歩いて帰る。逆にふた駅手前で降りないのは単純に歩く道を知らないからだ。僕は極端な方向音痴である。
歩きたくなるのは、夕食を食べすぎた時や考え事をしたくなった時のことが多い。ずっしりと重い胃袋を抱えながら、贖罪のようにひたすら歩き続ける。頭はそんな体の事情などお構いなしにぐるぐるぐるぐると色んなことを考え出す。回転する脳細胞のうなりまで聞こえてくるかのようだ。

今日考えたのは、主に自分自身のことである。自分のこれまでの人生、これからの人生、そしてそれに結果的に付随してくることになった様々なもの・こと・ひと。

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911と、ある恋のおわり (再録)

このポストは、昨年の9月11日にmixi上で書かれた文章に改行などの調整のみ行ったものである。

9月11日。
この日は僕にとって、何か特別な日なのかもしれないと考える。

6年前の今日、僕は恋人の家にいた。夜だった。
二人で「シザー・ハンズ」のビデオを観ていたんだけど、内容は全く頭に入ってこなかった。
僕はずっと、隣の女の子のことばかり考えていた。

彼女には、僕のほかに好きな男がいた。
相手の男にはちゃんとした恋人がいたが、関係に少しトラブルがあり押せばなびくような状態だった。彼女はそれを楽しんでいた。
対して僕と彼女はもう4年付き合っていて、トラブルは全くなく、二人の間は(上記の一件を除けば)非常に安定した状態だった。

彼女は安定に飽き、刺激を求めている。しばらくすれば、自分のところに戻ってくるだろう。それがわかっていたから、僕はずっと待つと彼女に伝えた。
でも、こういう宙ぶらりんな状態を続けるのは心底嫌だった。こんな状態でも、僕が求めれば応じる彼女も嫌だったし、すっぱりと会うことをやめられない自分自身も嫌だった。

これから僕たちは、どうすればいいんだろう。そんなことばっかり考えているうちに、映画は終わった。
ビデオが止まり、自動的に吐き出された。会話はなかった。
次の瞬間、ビデオ入力モードからテレビに戻った画面に我が目を疑うような光景が映っていた。

貿易センタービルから煙が上がっている。
何だこれは? 映画か何かの凝った宣伝だろうか?

そう思っているうちに、画面右手から旅客機が飛んできて煙を噴いていなかった方のタワーに激突した。新たな煙が上がる。
アナウンサーが、これは生放送だと強調していた。

アメリカ同時多発テロの勃発だ。

彼女にとって、この事件は「遠く海の向こうの大惨事」だった。
でも、僕にとってはそうじゃなかった。
僕にとってこの事件は「常識の崩壊」だった。
普段当たり前にあると思っているものが、簡単に打ち砕かれるその瞬間を僕は目の当たりにしている。そう強く思った。

後から考えると、僕はこの時に彼女から離れる決断をしていた。僕にとって彼女は「守るべき日常」の象徴だったけれど、そんなものは簡単に壊すことができるし、また自分の意志に反して壊れてしまうこともある。そこに固執してそのひとつだけを守って満足してしまうことは、僕という人間(当時21歳だった)の成長を妨げることになる。そう悟ったのは、ノースタワーの崩壊と同時だった。

僕は彼女と別れ、新しい恋をみつけた。
彼女はその後、火遊びの熱が冷めて僕のところに戻ってきたけど、僕には既に新しい恋人がいた。

僕は毎年、9月11日にはこのことを思い出す。
アメリカ同時多発テロと、ある恋のおわり。

 

今日は転職のためにエージェントと面談をする。
新たな一歩を踏み出したことを、来年からは思い出すだろうか?

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舞城王太郎「煙か土か食い物」

roaster

今でも小説家になりたい僕が生まれて始めて最後まで書き上げた小説は、食料難の東京でどこからともなく肉を調達してきてシステマティックに焼く男の話だった。彼は墨汁みたいになめらかで艶めいた黒のフォルクスワーゲンに乗り、不法労働者を拉致してきて食肉に仕立て上げる。高校二年生の頃、国語の授業の課題だった。
人間を焼いて食う話を読んだ若い女の先生は「独創的でよろしい」という評価をして期末の成績表には5をくれた。母親は泣き出して「なんでこんな話を書くようになっちゃったの」と言って自室に篭りきりになった。一緒に「辞書をぱっと開いたところにある単語をタイトルにして書いてこようぜ」と約束した友人は自分の短編を仕上げてこなかった。ノートはどこかへ行ってしまったのでもう読むことはできないが、とにかくそんなひどい話が僕のはじめての小説となった。

暴力に魅せられる人々

僕は常に「暴力」というものに魅せられている。
もちろん日常生活ではそんなことはおくびにも出さない。涼しい顔をして「他人を殴るなんてまともな人間のすることじゃない」と言ってのける。それでも、ひとたび家に帰ってみれば本棚にあるほとんどの本が暴力や暗い感情をテーマにしたものだし、日課はこれまでに日本で起きた未解決事件のデータベースを漁ることだ。正確に言うと、僕は「人間と暴力の関係性」にこそ興味を持っている。その人がどんな人間で、どんな暴力を好むのか。それはフィクションの中であっても実際に起こった事件の中であっても変わりない。
誤解のないように言っておきたいのだが、僕は「振るわれた暴力」をけして肯定はしない。本当に、心の底から、人が人を暴力で傷つけるなんてあってはならないことだと思っている。でもヒトである以上どこかでかならず暴力と関わり合って生きているはずだ──哀しい話だが。ならば僕はいっそのこと、その暴力ともっと向き合ってみたいだけなのだ。それをただ恐がって、道の端に追いやって迂回して通るようなことをあまりしたくないだけなのだ。

今回読んだ「煙か土か食い物」にも、暗く深い暴力の影が染みついている。そしてそれは僕の人生のテーマでもある「家族」というところにしっかりと結びつけられている。家族と暴力。
小説のジャンルとしては(僕は小説のジャンルってよくわからないんだけど)ミステリーというところに入るのかもしれない。事件のようなものも起きるし、それに対する推理もなされて最後には種明かしがある。でも僕はこの小説を「家族と暴力」に焦点を当てて読み進んだ。主人公はある一族の四男で、サンディエゴで外科医をしている。家族の他のメンバーからするといささか異端である。長男はエリート指向で東大を出て政界へ入る。次男は高校生の時に失踪する。三男は売れない小説家。父親は昔からひどい暴力を息子たちに振るう。その父親は祖父によってひどい暴力を振るわれていた。血と暴力によって結びつけられた奈津川家。

暴力に寄り添った文体

僕が感心したのは、ともすれば乱雑と受け取られかねない彼独自の「文体」が、この重たいテーマとぴったり合致していたことである。いや、これは実際に乱雑なのかもしれない。勢いにまかせて書きなぐった文章、としか読めない箇所も多い。練られず、推敲されてもいない稚拙な文章に見えることもある。でも、そんな無茶苦茶な文体が実に気持ちよく小説の暴力性と寄り添っている。もうこの内容にはこの文体しかないね、今はそう言ってしまってもいい。
実際、その後に読んだ彼の短編集は僕にいまいち訴えかけてこなかった。そこで語られている暴力が(そう、やはり暴力については一応語られているのだが)何となくとってつけたもののように思えてしまう。あるいは「血」という要素がなかったからかもしれない。僕にとってそこはかなり大事な要素になる。何といっても人生のテーマなのだ。

僕は改めて奈津川家の物語の続編を手に取ることにする。「暗闇の中で子供」。次はこれを読むことにしよう。僕の心は新しい暴力の予感に触れてざわざわと躍る。

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従妹の話

離れたきょうだいと芝居

僕には、赤ん坊の頃から知っている従兄妹がいる。上が男の子、下が女の子。
以前「ふたりの母親」の話をちらっと書いたが、この従兄妹はいわゆる「育ての母親」の弟(叔父)の息子・娘にあたる。僕と直接血の繋がりはないけれど、叔父の一家には昔から非常に良くしていただいていているおかげで、ほとんど「何らかの理由で離れて住んでいるきょうだい」みたいな感じで育ってきた。年に3〜4回ほど会っては仲良く遊んだ。旅行に行く時はだいたい一緒に行き、いつも三人一緒にいた。
僕が親に対して特別な感情を抱いているのと同じように、彼らに対してもまた別の特別な感情を抱いている。でも今日はその話ではないので本題に移ろう。今回はそのふたりのうち、下の従妹の話になる。

先週末は従妹の文化祭だった。高校三年生、受験生になる前の最後のイベントだ。
従妹はめんどくさそうに、でも少なからず誇らしそうに「わたしは実行委員のリーダーで、主役もやるんだ」と教えてくれた。僕はにやにやしながら「じゃあその勇姿を見に行かないとな」と言った。えーやめてよー来ないでよ、と彼女は言う。もちろんふたりとも本気じゃない。従兄妹たちがある程度大きくなってからは、口が達者な下の子と僕はふざけてこういった軽口を叩きあうのが常となっていた。いつもの他愛もない軽口。
当然僕としては、最初は別に本当に彼女の芝居を観に行くつもりはなかったのだけど、だんだんと「僕はこの芝居を観ておくべきじゃないか」という気持ちが湧いてきた。何故そんな気持ちになったのか、今ははっきりと思い出せない。以前に上の子の通う大学の文化祭に行った時もそうだった。彼らが自分の知らない顔をしているのが見てみたい──というようなものだったと思う。あるいは親の感覚に近いものだったかもしれない。彼らは普段どんな感じなのだろう、その「普段の感じ」が見てみたかった。たぶんそんなところだ。
僕は改めて従妹とコンタクトを取り、高校の場所と文化祭の日取りと公演のタイムテーブルを教えてもらった。妻にそれを伝えて予定をあけてもらい、一緒に行くことにする。それが先週の日曜日。

日曜日の昼。妻は体調を崩して来ることができなかったので、けっきょく僕はひとりで従妹の高校の前に立っていた。このところ雨雲にその座を譲りがちだった太陽は、こんな時ばっかりきちんと中空にあり、僕の脳天を容赦なく焼き焦がしていた。
僕は恐る恐る校舎に入った。自分が通ったことのない学校というのはいつ入っても不思議なものだ。まったく馴染みのない、それでいて懐かしいような空気が僕を包み込む。落ち着かない気持ちのまま僕は「来賓」と書かれた看板の前まで行き、名簿に自分の名前と住所をしっかりと書き残した。山の中腹あたりで、案内板の柱にこっそり名前を彫り込むように。少なくとも僕はここまでやってきたのだ、ということを確かめるかのように。
実行委員らしい男の子からスリッパとビニール袋を受け取り、校舎の中に入りながら僕は考える。おかしいな、僕は従妹を見に来ただけのはずなんだ。いつも軽口ばっかりで調子のいい明るい従妹が、しっかり者としてクラスを支えてひとつのイベントを成し遂げる、そんな感動的な様子を見に来ただけのはずなのに、僕の心はどうにもおかしな方向に傾きかけていた。少なくともここまできたなんて思う必要がどこにある?

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